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歴史探訪

山梨県大月市歴史探訪
大月市の概要
大月市は、山梨県の東部に位置し、西に甲州市・笛吹市、南に都留市、東に上野原市と隣接しています。市域の86パーセントを森林が占める自然豊かなまちで、江戸時代に甲州街道沿いの宿場町として栄ました。中央自動車道・中央本線・国道20号が東西に、国道139号が南北に通っており、都心から約1時間の距離にあるため、東京への通勤利用者が多くなっています。

大月のあゆみ
大月では、90ヶ所余りの遺跡が発見されており、そのうちの大半が縄文時代中期に属していることから、当時この地に住んでいた人々の盛んな経済活動がうかがえます。その後、縄文後期から弥生時代にかけて富士山の火山活動が頻繁に起こり、火山灰などが降ったため、それが動植物へ影響し、採集経済に依存していた人々の生活に影響を及ぼしました。

『吾妻鏡』によると、中世以前のこの辺りは、競石郷と呼ばれ、猿橋が架けられる前は、鳥沢から藤崎へ行くのに、船で川を渡り、伊良原から殿上を経て西に向かっていましたが、橋が架けられてからは、街道が猿橋の集落を通るようになったとされています。

戦国時代には、武田氏が甲斐の国を治めていましたが、武田氏と姻戚関係を結んでいた小山田氏(平氏の流れを汲む秩父氏の一党)は、岩殿城に入り、この地に勢力をもっていました。甲州防御の拠点として、武田氏は度々猿橋に陣を張ったという記録が残っています。しかし天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍が甲斐に侵攻してきた際、武田勝頼は、小山田信茂の守る岩殿城へ退避するべく行軍していましたが、信茂が裏切ったため、勝頼は天目山での自害に至ります。信茂もまた、信長に不忠者として成敗され、まもなく岩殿城は廃城となりました。

江戸時代になると、五街道が開設され、その一つである甲州街道が大月に通じていました。大月には甲州45宿の内、12宿があり、宿場町として大いに賑わいました。

明治36年(1903年)には、中央本線(新宿〜甲府間)が開通しました。甲州街道の難所であった笹子峠は、変わらずの難所で、当時の笹子駅は、急勾配を克服するために、ジグザグに線路が配置されたスイッチバックの駅となっていました。その後の昭和29年(1954年)、市制施行により8ヶ町村が合併して、大月市が誕生し、現在に至ります。


大月の名前の由来
寛永10年(1633年)、第10代谷村(現都留市)城主秋元但馬守秦朝が、農業振興のため造らせた水路「五ヶ堰」付近に大槻(ケヤキの別名)が群生していたのを、地区名の「大槻」というようになり、その後、寛文検知の際、駒橋(現大月橋)より見た月がひときわ大きく見えたところから「大槻」が「大月」となったというのが、大月の由来とされています。


大月の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
大月市郷土資料館
住所: 〒409-0614
山梨県大月市猿橋町猿橋313-2 [地図を見る]
電話番号: 0554-23-1511
開館時間: 9:00〜17:00
休館日: 月曜日、祝日の翌日、12月28〜1月4日
連休および月曜日が祝祭日の場合は翌日休館
入館料: 一般100円、中学生以下は無料
*団体20名以上80円







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